皆様、ご卒業おめでとうございます。神戸海星女子学院大学の教職員を代表し、心からお祝いを申し上げます。卒業生の皆様を励まし支えてこられたご家族の皆様には、この日を心待ちにしておられたことと存じます。お慶び申し上げますと共に、この4年間、様々な場面でのご協力・ご理解とご支援に心から感謝申し上げます。
卒業生の皆様が大学生活を過ごされた2022年から今日までの4年間は、まさに「正解が書き換えられ続けた4年間」だったと言えるでしょう。コロナ・パンデミックによる日常や教育、コミュニケーションのあり方の変化、生成AIの登場による知性や創造性の変容、そして大きく揺らぐ国際秩序。昨日までの常識が、今日は通用しなくなる。このような波の中で、言葉にならない漠然とした不安感が多かれ少なかれ皆様の中に常にあったのではないでしょうか。そのような、足元が揺れ動くような時代の中で、学び、考え、今日という日を迎えられた皆様に敬意を表したいと思います。このような時代に新しい社会への船路に着こうとしている皆様にお伝えしたいことが三つあります。
一つ目は自分の「今」を感じてほしいということです。詩人の谷川俊太郎は、「道端のこのスミレが今日咲くまでに/どれだけの時が必要だったことだろう」で始まる詩「未来へ」でこう綴りました。
「誰もきみに未来を贈ることはできない/何故ならきみが未来だから」
谷川俊太郎は、「未来はやってくるものではない、自らの手でつかみ取るのだ」と呼びかけています。この言葉に、皆様はどのような思いを抱くでしょうか。「力強く進まなければ」と背筋が伸びる思いがする方もおられるでしょう。もしかすると、自分の手ではどうにもできない不条理や、正解のない問いが目の前に立ちはだかっていて、「未来をつかみ取れ」という言葉が重荷に感じられることもあるかもしれません。
そのような時は、谷川俊太郎の別の詩「生きる」にある、この一節を思い出してください。
「生きているということ/いま生きているということ/…(中略)…/いま 今が過ぎていくこと」
「未来をつかむ」とは、決して特別な何かを成し遂げることだけを指すのではありません。谷川俊太郎は、喉が渇いたと感じて水を飲むことや、窓の外に目をやって光を眩しいと思うこと、そして、「いま、この瞬間が過ぎていく」ことを、そのままに受け入れることが「生きる」ということだと言っています。
正解が次々と書き換わり、未来が不透明な時こそ、この「いま、生きている」という確かな事実に立ち返ってください。谷川俊太郎は、戦中・戦後の混乱を経験し、言葉が虚しく響く時代を生きてきました。そんな彼が語る「未来」とは、遠くにある夢ではなく、「喉の渇き」や「光の眩しさ」を感じ、泣いたり笑ったり、何かをあるいは誰かを大切に思ったりする「今」の積み重ねの先にあるものです。
もしこれからの人生においてどのように生きていくかに迷い、立ち止まってしまったとしても、「いま、呼吸をしている」ことを自分で確認すること自体が、実はもう、あなた自身の手で未来をたぐり寄せているということなのです。大きな変化に飲み込まれそうな時ほど、自分の内側にある「今」を大切にしてください。その小さな「今」を積み重ねていくことこそが、あなたの未来への揺るぎない土台になります。
とは言っても、大きな社会に出ると、自分の言葉や行動が、または自分の存在が、ちっぽけで、正解の無い暗い海に溶けて消えてしまうように感じる瞬間が訪れるかもしれません。
二つ目にお伝えするのは、あなたにしかない光を信じてほしいということです。
皆さんも本などを通して知っておられるマザー・テレサは、教員をしていた時の出逢いがきっかけで、インドのコルカタで、貧しく身寄りのない人々に寄り添う活動をするようになりました。そんな彼女に対して周りの多くの人がこう疑問を投げかけました。「困った人は山ほどいるのに、そんな活動をして一体何の意味があるのか」。その疑問に対して、マザー・テレサが次のように答えました。
「私たちがやっていることは、大海の一滴にすぎません。ですが、その一滴がなければ、大海は一滴分少なくなってしまうのです」
社会全体の営みを「海」に例え、一人の人間を、また一人の人間の小さな行いを、大きな水の塊の中の「一雫」に例えて、「私たちがやっていることは、大海の一滴にすぎない。でもその一滴がなければ、大海は一滴分少なくなってしまう」と返したのです。
皆さんがこれから関わっていかれる仕事や活動は、社会全体から見ればほんの「一滴」かもしれません。でも、その一滴を投じることを止めてしまえば、社会は確実にその分だけ、潤いを失います。たとえ時代の正解がどう書き換わろうとも、あなたが今日、誰かのために尽くした誠実さや、自分らしくあろうとした行動の「一滴」の価値は、決して書き換えられることはありません。その一滴の価値を、自分自身で認めてあげてください。あなたの「一滴」には、あなたにしかない、代わりのきかない価値があるのです。
では、正解のない海を、私たちはどう渡っていけばよいのでしょうか。 三浦しをんによる小説『舟を編む』(2011)には、このような一節があります。
「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために」
ここでいう「舟(すなわち辞書)」とは、単に言葉の羅列をしたものではありません。それは、広大な海(すなわち皆さんが出ていく世界)の中から、自分の想いや相手の心を正しく掬い上げるための道具とも言えるでしょう。
皆さんにお伝えしたいことの三つ目は、言葉を尽くして目の前にいる相手と対話をしてほしいということです。
本学院創立75周年記念事業の一つとして、昨年10月に図書館棟1階の教室で開催された「イタリア人宣教師 シドッティと日本」と題した展示をご覧になった方もおられるでしょう。
シドッティとは、江戸時代の鎖国下、禁教令が布かれた日本に密入国し、捕らえられたイタリア人宣教師です。シドッティと彼を取り調べた新井白石も、まさにこの「言葉の海」を渡る「舟」を編み上げた二人でした。 生まれも育ちも、言語も宗教も、守るべき正義も全く異なる決して相容れない二人が、裁かれるべき密入国者と尋問官という敵対する関係で対峙しました。
本来なら排除して終わるはずでした。しかし白石は、シドッティの中に自分と同じ「真理を求める人間」の姿を見出し、深い敬意をもって対話を重ねました。その結果、白石はシドッティの処刑を免じるよう進言し、シドッティはしばらくの間、穏やかな日々を送ることができました。それは白石が、言葉を尽くして相手を「一人の人間」として理解した結果でした。彼らは、もっともふさわしい言葉を探し、正解のない問いに対して、対話を続けたのです。
今の世の中は、寛容さが薄れ、自分と意見の違う相手をすぐに敵と見なす風潮にあります。これから皆さんが漕ぎ出す社会でも、考え方の異なる人と対峙する時が少なからずあるでしょう。相手を理解不能な敵として切り捨てるのは簡単です。けれど、どうか対話を諦めないでください。白石とシドッティが互いに示したように、自分と異なる誰かと向き合い、まずは相手を一人の人間として見つめ、静かに対話を試みてみてください。
谷川俊太郎が詠んだように「いま、この瞬間」を大切にし、改めて自分を知り、自分が大切にしたいもの・大切にしたい考えや生き方はどのようなものかを、今後の人生で時間をかけて追求し、生涯成長を続けていかれますように。
また、マザー・テレサが説いた「自分にしかない一滴」の誇りをもって進んでいってください。皆様お一人おひとりが、海星で身に付けたことを、今後、他の人のために、人を支えるために使ってほしいと願っています。それが、先ほどの聖書朗読にあった、私たちに与えられた「掟」、すなわち「互いに愛し合う」ことにも繋がるのではないかと思います。
そして、どんなに激しい波の中でも、自分を、そして他者を理解するために、「言葉という舟」を丁寧に編み続けてください。 その舟で掬い上げた光の数だけ、皆さんの人生がより深く、豊かなものになるはずです。その積み重ねの先に、皆さんの未来があると信じています。大学を卒業し、不確かで、だからこそ自由な大海原へ漕ぎ出す皆さんの航海を、心から応援しています。
進む方向が分からなくなった時には、本学のスローガンである「人を支え、輝く。」ことを目標とし、大切に育て続けてほしい人格的素養としてまとめたKAISEIパーソナリティを思い出して、その一つを実践してみていただけると嬉しいです。
来年の3月末には海星の大学が閉学することが決まっておりますが、皆様はこれから先も海星の一員ですし、私たち教職員は、海星の一員である皆様の幸せをずっとお祈りしています。海星で学んだことを誇りとし、それぞれの置かれた場所で「海」をより豊かなものにするための「一雫」として、時に周りの人たちを導く「星」として務め、それぞれの色で輝かれることをお祈りし、私の式辞とさせていただきます。
2026年3月14日
神戸海星女子学院大学
学長 石原 敬子