学長メッセージ

2020年度 卒業式 学長式辞

2020年度卒業式 学長式辞

今、新型コロナウイルス感染症により、世界中が困難な状況にあります。日本でもようやく医療従事者を対象にワクチンの接種が始まりましたが、世界中がコロナの終息を迎えることができるのはいつになるのか、まだまだわからない状況にあります。このような困難な状況の中にあっても、春の訪れを感じる季節となり、昨年は中止にせざるを得なかった卒業式を、様々な制限を設けながらも、今日このように迎えることができ、大変うれしく思います。

卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。ご家族の皆様、誠におめでとうございます。4年前の4月に皆様は神戸海星女子学院大学に入学されましたが、私も4年前に学長になり、学長としてはじめて迎えた新入生が皆様でした。入学式の日に、代表の方の挨拶をこの場所で聴かせていただいたこと、代表の方の聖書朗読を聴かせていただいたこと、そして入学式から間もない日に、皆様のうちの何人かが、正面玄関横の応接室で、私に話しかけてくださり、お名前を教えてくださったこと、そしてそれを一生懸命メモに書きとったときのことなど、皆様との思い出は、これからもずっと忘れないでしょう。

さて、本日は、これからの皆様に向けて、三つのお話をしたいと思います。すべて私自身の経験からお伝えしたいと思うことです。一つ目は、自分の中に埋もれている未知の才能に自分自身が出会ったり、才能を伸ばしたりするためには、成長のチャンスがあるときは、失敗を恐れず、それにチャレンジすること、そして、チャレンジすることを繰り返してほしいということをお話ししたいと思います。皆様が1年次生のときに受けた「キャリアデザイン入門」の授業のうちの「学長による講義」の中で、私が皆様に聖書の「タラントン」のたとえ(*1)の話をしたことを覚えていらっしゃいますか?主人が三人のしもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て、戻ってきたときに、お金の清算をしたという話です。主人から預かったお金を使って商売をして、預かったお金を倍にして主人に返した二人のしもべたちに対して、主人はおおいに褒めましたが、主人から預かったお金を使わずに、穴を掘って埋めておいた一人のしもべに対しては、「怠け者の悪いしもべだ!」と言って主人が怒ったというお話でしたが、このたとえ話に出てくる主人とは神様で、しもべたちは私たち人間で、主人からしもべが預かったお金とは、神様が人間に与えた才能のことでしたね。

この「タラントン」のたとえの話は、私たち誰もが、神様から多くの才能を与えられており、その才能はそれぞれ異なり、才能の量もそれぞれ異なっていますが、間違いなく、どの人も多くの才能を与えられていること、そして、神様は、どの人に対しても公平に、神様がお与えになった才能を増やそうと努力することを期待されているのだということを私たちに教えてくれています。ですから、神様の期待に応えようと、全力を尽くす人に対しては、神様は喜ばれ、さらなる才能をお与えになりますが、神様の期待に応えようとしない人、すなわち、優越感、あるいは劣等感から、与えられた才能を使おうとせずに怠けている人に対しては、神様はお怒りになるのです。

それでは、どのようにして神様の期待に応えることができるのでしょうか。つまり、どのようにして神様が私たち一人ひとりにお与えになった才能に出会ったり、才能を伸ばしたりすることができるのでしょうか。その方法は、成長することができるチャンスに対して、失敗を恐れずにチャレンジすることなのです。プロ野球の東京ヤクルトスワローズや阪神タイガースの元監督で昨年亡くなられた野村克也さんは、「自分に能力があるかなんて、やってみないとわからないよ。自分で決めつけちゃだめ」とおっしゃっていました。野村さんがおっしゃるように、「私には能力がない」とか「私には絶対に無理」と決めつけてしまって何もしなければ、せっかく神様が与えてくださった、皆様自身の中に埋もれている才能に、一生出会うことはできないでしょう。逆に、「私にもできるかもしれない」「きっとできるはずだ」と思い、何かに全力を尽くしてチャレンジした結果、何かを達成し、「できた!」と思ったとき、それは、皆様自身の中に埋もれていた才能との出会いの瞬間であり、皆様が成長したときなのです。

全力を尽くして何かを成し遂げると、私たちは達成感を味わうことができます。それと同時にもっと高い目標があることに気づくでしょう。そうしたら、また、チャレンジをしてみましょう。『ローマ人の物語』をはじめ、数多くの作品を手掛けている作家の塩野七生さんは、何かにチャレンジすることを「山に登る」ことにたとえ、チャレンジを続けることを、フランス人の作家アンドレ・ジイド氏の次のことばを使って話されています(*2)。

 

山に登る。

山に登ると向こうにトルストイの山が見える。

トルストイという山に登ると、向こうにドストエフスキーという山が見える。

 

このように、私たちは、全力を尽くして何かにチャレンジし、達成したときに、自分の新しい才能と出会うことができるでしょう。そして、より高い目標に向かって全力でチャレンジし続けているうちに、自分の才能をどんどん発見したり、才能を伸ばしたりして、成長し続けることができるでしょう。

二つ目のお話に移りたいと思います。私たちは、人生において、たいてい、幾度か試練を経験します。苦しいことや悲しいことが起こったり、ひどく傷ついたり、物事が思うようにいかなかったり、失敗したり、挫折を味わったりするなどの試練が訪れたとき、私たちは、それにどのように向き合い、乗り越えればよいのでしょうか。それについてお話ししたいと思います。私たちは、様々な試練を経験したとき、往々にしてそれが起こったことを、誰かほかの人のせいにしたり、何かのせいにしたりしたくなります。そうすることで、ごく一時的に自分自身の中にある、取り去りたい負の感情を吐き出すことができて、少しだけ楽になるかもしれません。けれども、それはほんの一時的なことで、すぐにまた、負の感情が舞い戻り、負のスパイラルの中でグルグルと回り、そこから抜け出せないまま、解決の糸口さえ見つけられず、さらに苦しい思いをするでしょう。ですから、自分自身に起こった試練を人のせいにしたり、何かのせいにしたりするのではなくて、静かに自分自身と向き合い、その試練が意味することは何だろう、と考えることが必要なのです。さきほど、作家の塩野七生さんのお話をしましたが、塩野さんは、東京都立日比谷高校時代に、東京大学への受験に失敗したのですが、東大の受験に失敗したとき、自分自身に問いかけたそうです。「私はなぜ、東大を受けたのだろう?官僚になるため?それとも研究者になるため?私は何をしたかったのだろう?」、そう自分自身に問いかけ、自分が望んでいるのは、ギリシア最古で最大の作品である長編叙事詩『イーリアス』を最初に日本語に翻訳した呉茂一先生の授業を受けることなのだと気づいたそうです。そして塩野さんは呉茂一先生の授業を受けられる学習院大学に進みました。塩野さんは、もし、東大に合格していたら、何も考えなかっただろうと話されています。「失敗は気づきのチャンス」と、塩野さんはおっしゃっていますが、受験の失敗という試練について自分自身としっかり向き合って考えることで、気づきを得て、先に進むことができたのです(*3)。それが、塩野さんが輝く方向、すなわち、作家という道へと進む第一歩となったのです。

塩野さんは、こうして自分自身に問いかけて、失敗から気づきを得られたわけですが、キリスト教の大学である本学を卒業される皆様は、試練を経験したとき、神様がその試練をお与えになったのだと考え、神様がなぜその試練を自分にお与えになったのか、その意味を心の中で、神様に問いかけてみてください。先ほど、1年次の「キャリアデザイン入門」の「学長による講義」で、聖書の「タラントン」のたとえの話をしたことをお話ししましたが、私たちがあの「タラントン」のたとえの話が何を意味するのかを考えるときに、「神様は人間一人ひとりを公平に愛されているはずだ」という前提を使って考え、その意味を理解することができました。その前提、すなわち、「神様は人間一人ひとりを公平に愛してくださっているはずだ」という前提を、皆様が試練を経験したときにも用いてみてください。つまり、皆様が試練を経験したとき、神様は私を愛してくださっているはずだ、だから、私を愛してくださっている神様が私に試練をお与えになったのには、何か意味があるに違いない、それは何だろうと考えてみてください。自分自身に起こった試練を人のせいにしたり、何かのせいにしたりするのではなく、神様がこの試練をお与えになったのは、何か意味があるに違いない、と思い、その意味を考えたり、あるいは、神様に、答えを私が見つけだせるように力をお与えくださいと祈りながら、その意味を考えたりしているうちに、皆様は、必ず、その試練の意味を見出すことができるでしょう。その意味を自分自身が見出したとき、皆様は、負のスパイラルから解き放されて、前に向かって進み出すことができるでしょう。皆様が進む前方に見えるのは、何だと思いますか?それは、きっと希望であると思います。

三つ目のお話は、二つ目のお話に出てきた試練とまではいかなくても、日々の暮らしの中で、自分がしている仕事が無意味に思えたり、将来のことを不安に思ったりしたときに、どのようにすればよいかをお話ししたいと思います。皆様は、これから社会に出ていかれますが、自分がしている仕事がつまらないものに思えて、スランプに陥ったり、この先自分はどのようにしたらよいのだろうと将来に対して不安になったりすることがあるかもしれません。そのようなとき、どうすればよいか、次の聖書のことばが答えを教えてくれると思います。

 

マタイによる福音書 第6章34節

明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

このことばで大切なのは、「その日の苦労は、その日だけで十分である」というところだと思います。自分のしている仕事が無意味に思えたり、先々のことが不安でたまらなくなったりしたときにこそ、今、目の前にある、自分が一番しなければならないことに全力を尽くしましょう。たとえ、それが地味な仕事であっても、たいした仕事に見えないようなことであっても、それが、自分が今一番しなければならないことであるのなら、それを一生懸命するようにしましょう。今しなければならないことに全力を尽くすこと、それが「その日の苦労」であり、神様はそれで十分だとおっしゃっているのです。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。今しなければならない目の前のことを一生懸命していたら、私たちは、もうそれだけで精一杯で、先のことなど考える余裕などなくなります。次の日もまた、目の前の、しなければならないことをしようと一生懸命がんばっていたら、それだけで精一杯で、先のことを不安に思っていたことさえ忘れてしまうでしょう。そうして、その日、その日にしなければならないことを一生懸命していたら、道はおのずと開かれていくでしょう。きっと神様が一生懸命頑張っている姿を見て、道を開いてくださっているのだと思います。

以上、三つのお話をさせていただきました。簡単に振り返ると、一つ目、皆様が神様からいただいたたくさんの才能と出会ったり、才能を伸ばしたりすることができるように、全力を尽くして何かにチャレンジし、そしてそれを繰り返してください。そのたびに皆様はどんどん成長されていくことでしょう。また、二つ目、試練を経験したときには、神様がお与えになった試練には、何か意味があるはずだ、それは、何なのだろう、と考えてみてください。皆様がその答えを見出したとき、皆様は、希望に向かって前進していることでしょう。そして、三つ目、将来のことについて不安を感じたときには、先のことは考えずに、今、目の前にある、しなければならないことを、全力を尽くしてするようにしましょう。そうすれば、おのずと道は開かれるでしょう。この三つのお話が皆様のこれからの人生において、ほんの少しだけでもお役に立つことがあるとすれば、とても幸いに思います。

最後になりましたが、皆様が、神様が皆様一人ひとりにくださった才能を信じて全力を尽くし、新たな才能に出会い、そしてそれを伸ばしていかれること、また、一昨日の同窓会入会式でお話ししたように、その才能を誰かほかの人のために使って、心を込めて人を支え、そこに本当の幸せを見出し、輝かれることを心からお祈りし、そして、皆様との出会いを神様に感謝して、私の式辞とさせていただきます。

 

 令和3年3月13日

神戸海星女子学院大学

学長 小野 礼子

 

 

(*1)  マタイによる福音書 第25章14節~30節

(*2)  テレビ番組「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」(NHK Eテレ 2020年1月1日放送)より

(*3)  同上